私は今、某新聞社に勤務し、スポーツ新聞の編集(整理といいます)をしています
編集の前は、6年ほど運動記者としてスポーツの取材に走り回っていました
「〇〇スポ」と言えば、まぁスポーツ好きな方なら大抵は知っている新聞だと思います
媒体名を明かして書いても全然いいんですが、今回のテーマを書くにあたって必須というわけではないのでやめておきます
SNSやブログに懐疑的な会社に、にらまれてもめんどくさいし
今回はちょっとテイスト違います
なぜ阪神・横田を
先日、阪神の横田慎太郎という一人の選手が現役を引退した
まだ24歳
2年前に脳腫瘍が発覚してから、9月26日の現役最後のセレモニーとしての2軍戦出場を除き、ついに本格的な復帰は叶わなかった
私も映像で彼がマイクの前に立つセレモニーを見たが、涙したファンはなにも阪神ファンだけではなかったと思う(ちなみに私は阪神ファンというわけではない)
なぜ、私がこの「横田慎太郎」を取り上げるのか
それは単純に思い入れがある、ということ
2013年ドラフト会場
彼がプロ野球選手となった瞬間、私は阪神担当(いわゆる「トラ番」)として現場にいた
2013年10月、ドラフト会議が行われた東京・品川のグランドプリンス新高輪である
スポーツ紙にとってドラフト会議というのは、「当てっこ」合戦でプライドと意地がうごめく
それまで「1位は〇〇」とか「隠し玉に〇〇」とか、予想記事を書いて(大抵は有力とか浮上とかをつけて逃げを打つけど)さぁ当日蓋を開けてどうなるか、という日である
「阪神タイガース、ドラフト2位、よこたしんたろう、鹿児島実業高校、外野手」
会場にいる阪神担当記者全員が「?」となったのでは、ないかな
まったくのノーマーク選手だった
横田慎太郎への期待の大きさ
故・中村GMの“したり顔”が今でも忘れられないな
ホテルロビーで記者たちに囲まれたGMは「横田という子は…?」と振られると
「そうだろう、知らなかったろう」といった顔で「糸井(当時・日本ハム)級の才能の持ち主」と評した
その年で引退した桧山進次郎の背番号「24」を与えられたことも、球団の期待の大きさを語っていた
たしか大阪のリッツ・カールトンだったかな
入団会見の会場にも私はいたが、ガチガチにマイクを持つ彼の姿は、まだ印象に残っている
考えれば田舎の高校生が突然、世界一担当記者が多いといわれる球団に指名され、無数のマスコミの前でフラッシュを浴びて緊張するのは当然のことだった
横田慎太郎、短すぎたプロ生活
そこからの彼のプロとしての成績を知りたい人は、ウィキペディアでも参照してほしい
画面を少しスクロールしたら終わってしまうページが、私としては本当に悲しい
彼がプロ2年目を迎える頃には、私は現場を離れて社内業務となっていたので、その後は記事を追っていただけのことである
その間に、なんの因果か彼をプロへと導いた中村GMも2015年9月に急逝した
兵庫・宝塚で私が最後に個人的にGMとお酒を酌み交わしてから、わずか1年後のことだった
衝撃の告白
「打った球が全く見えない」「守備のときは二重に見える」
引退会見の際、彼が語った言葉に衝撃を受けた
そんな状態でやっていたのか、と…
現場記者さえも知らなかった事実
それほど、弱みを見せず、愚痴を吐かず、ただただ復帰へ一途だった男
元プロ野球選手の父を持ち、恵まれた体格に優れた運動能力を誇っていた
病魔にさえ襲われなければ、それこそ糸井のような輝かしい成績を残したかもしれない
すべてが「かも、だろう」に終わってしまった彼のプロとしてのキャリア
どうしようもないが、病気を憎むしか悔しさをぶつける手段が見つからない
最後に
「文字を書く」なんてことを生業にすると、たまに途方もない無力感に襲われることがある
9・26鳴尾浜球場セレモニー、マイクの前に立つ横田を、ファンが、報道陣が、1軍からも駆けつけた選手たちが見ている
そこから紡ぎ出された言葉を、ここでつらつら書くつもりはない
横田が述べた感謝とその裏にあるとんでもない悔しさ
その姿を見つめる者たちの表情
映像からビンビンと伝わってくる光景を描きたいが、文字で書き切る術を私は持たない
あんな複雑な表情を、どう書き表わせというのか
ただ、確実に書けることもある
アスリートの引き際は千差万別だが、「阪神・横田慎太郎」という選手がいたことを私は忘れない